ポルノ・買春問題研究会
論文資料集10
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ポルノグラフィは性暴力の一部である
アンドレア・ドウォーキン

解説

本稿は、ポルノ店を襲って逮捕された女性活動家たちを擁護するために1981年に書かれて、『ロサンゼルス・タイムズ』に掲載された論文である。当時、ポルノ店やポルノ業者を襲撃する戦闘的フェミニストの行動が全国的に繰り広げられ、大量の逮捕者を出した。そのため、反ポルノ闘争は一時的に停滞を余儀なくされた。ドウォーキンがマッキノンとともに、反ポルノ公民権法を作成するという新しいアプローチをとるのは、その後のことである。
 Andrea Dworkin, Pornography's Part in Sexual Violence(1981), Letters from a War Zone, 1993, Lawrence Hill Books.

内容

 昨年の2月、3人の女たち@@リンダ・ハンド、ジェイン・クイン、シェル・ワイルドウォムーン@@は、コネチカット州ハートフォード[コネチカット州の州都]にある店に入り、女性と子供の性的虐待を描いている本やフィルムに、金属の鋲を打った張り型と鞭に、人間の血をかけた。

 その店「ベア・ファクツ」は名目上はランジェリーを売っている。その秘密の別室にある「ファンタジー・ルーム」に上記のものが売られているのだ。年に何度か、祭日になると、その別室が開かれて「ファンタジー・ルーム」が公開される。男たちは主催者にふるまわれたシャンパンを飲み、女性モデルは、男の観客が店の品から選んだランジェリーと性的付属品をつけて、その姿を見せびらかし、ポーズをとる。

 ハンド、クイン、ワイルドウォムーンは、この店のクリスマス・パーティーをピケットを張って阻止した。そして今回の聖バレンタイン・パーティーのときには、血液をまいて阻止しようとしたのである。彼女らは、

財産危害罪@@最高5年の懲役および5000ドルの罰金を課せられる重罪@@と家宅侵入罪@@最高1年の懲役となる軽罪@@で起訴された。

この3人の被告は自分自身を弁護した。彼女らは、より大きな罪@@女性と子供の性的虐待@@を防ぐためにやったのであり、当該物は、女性と子供に対する性的虐待に現実に寄与するものであり、社会は、張り型よりも女性の生活を保護するより重大な義務を負っていると主張した。市民不服従の偉大な伝統にもとづいて、彼女らは、所有権の上に人権を置いたのである。裁判所において、女性の立場を代表して、ポルノグラフィに反対するこのような弁論が行なわれたのは、初めてのことであった。そして彼女らは無罪をかちとった。

 私は、ポルノグラフィに関する専門家証人として弁護側の証言に立った。はじめて私は宣誓のもと、ポルノグラフィは女性に対する暴力の一因をなすかどうかという尋問に答えた。
 私はこのような質問を嫌悪する。というのは、ポルノグラフィそのものが女性に対する暴力だからである。女性はポルノグラフィの中で使用されている。ポルノグラフィおよび、強制セックスやバタリーなどの行為においては、価値観と行為との間に正確な照応関係があるだけでなく、両性が不平等の社会においては、男性はポルノグラフィから女とセックスについて学ぶのである。それが男性に伝えるメッセージは、女は虐待されることを楽しんでいるというものである。調査によってますます明らかにされているように、セックスと暴力@@そして女というものは虐待されることに快楽を見いだすという認識(これこそポルノグラフィの核心だ)@@は、男たちに野望と戦略の両方を教え込む。

 しかし、実証的調査以外に、生き証人による証言が存在する。自分自身の性的虐待の経験においてポルノグラフィが果たした役割について@@少なくともフェミニスト・サークルの安全圏の中で@@証言する女たちがしだいに現われている。ある19歳の女性は、このハートフォードの裁判において、父親が何年にもわたって自分をレイプし拷問を加えるさいに一貫してポルノグラフィを使っていたことを証言している。彼女はまた、父親の友人のネットワークがあり、そこには医者や弁護士も含まれていて、彼らもまた自分や他の子供たちを虐待したことを証言した。これらの医者の一人は、虐待したことがばれぬよう、この子供たちの傷を治療した。

 このような話は、単なる奇想天外でセンセーショナルなものではない。そのような報告は、フェミニストの文献の中でますます頻繁に現われるようになっている。こうした話を退けることは、被害者の人生を退けることである。
 ポルノグラフィが性暴力といかなる現実的な関係もないなどと信じることは、とりわけリベラル派がそうすることは、驚くべきことである。リベラル派はいつでも教育の価値と重要性とを信じてきた。しかし、ポルノグラフィが問題になるやいなや、ポルノグラフィには@@文字で書かれたものであれ、視覚的なものであれ@@誰に対してもいかなる教育的効果もないと信じるよう、私たちは求められるのである。ポルノグラフィが何事かを教えるという認識は、何らかの確定的な結論を含むものではない。それ自体としては検閲を支持するものではない。しかしながら、それは、私たちが生活の質とポルノグラフィの中身について何らかの注意を向けるよう求めるものである。

 そしてそれは、とりわけ次のことを求める。女性に対する性暴力が蔓延しているのなら、このような暴力を教唆しそれを快楽の同義語とするような題材の機能と価値について、真剣な問いかけがなされなければならない、ということである。

 「人権」の中に女性の権利を含めるよう求めることは、あるいは、レイプされ殴られ売春を強制される女性は基本的人権を侵害されていると主張することは、はたして「上品ぶる」ことや「抑圧的」で「検閲的」で「ファシスト的」なことであろうか? 自由の擁護とは、実際には虐待者の自由にしか適用されないのだろうか?

 アメリカ合衆国にいる人々は、自分たちの自由について大いに誇りを持っている。しかし、アメリカ合衆国にいる女たちは、自分自身の身体に対する性的アクセスをコントロールすることさえ、ままならぬ状況にある。この権力システムは、婚姻関係におけるレイプが犯罪である州が3つしかない(ニュージャージー、ネブラスカ、オレゴン)ようなシステムである。この権力システムはまた、レイプや集団レイプや緊縛や鞭打ちやありとあらゆる種類の強制セックスを奨励するポルノグラフィを法認しているシステムでもある。この同じ権力システムの中で、280万人ものバタード・ワイフがいると推計されている。酔っ払った男たちは、ポルノショップの「ファンタジー・ルーム」を出た後、結局はどこに行くのだろうか? 彼らは家に帰り、女と子供たちのもとに行くのである。

 かのハートフォードの店でポルノグラフィに人間の血液をかけた女たちは、真の「ベア・ファクツ(赤裸々な事実)」と対峙したのである。すなわち、ポルノグラフィが、標的にしやすい対象@@女と子供@@に対する暴力を教唆する危険で効果的なプロパガンダだという事実である。

(訳 MRT)

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