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慰安婦問題 : 「河野談話」否定派の系譜(上)― 策動当初から国際的批判 (

日時: 2014-10-15  表示:2674回

しんぶん赤旗 2014年10月13日

 日本軍「慰安婦」問題で、「朝日」検証報道(8月5、6日付)をきっかけに「『吉田証言』を根拠として、日本の名誉は地に落ちている」(稲田朋美・自民党政調会長、3日の衆院予算委)などとする主張が、「靖国」派の政治家や一部右派メディアから流されています。しかし、日本の「国際的名誉」を傷つけてきたのは誰か、歴史的経過をみれば明らかです。
攻撃の矛先

 1993年8月4日、「慰安婦」問題で日本軍の関与と強制性を認め、おわびと反省を表明した「河野洋平官房長官談話」が発表されました。「靖国」派の攻撃の矛先は当初、その直後に出た細川護熙首相発言―「私自身は、(先の戦争は)侵略戦争であった。間違った戦争であったと認識している」(同年8月10日)―に集中し、自民党靖国関係三協議会が中心になって、自民党内に「歴史・検討委員会」が設置され、侵略戦争美化の見解をまとめました。当時新人議員だった安倍晋三氏(現首相)は、このとき委員に抜てきされました(95年6月)。

 こうした逆流にもかかわらず、政府は95年、侵略と植民地支配へのおわびと反省をのべた「村山富市首相談話」を発表。「慰安婦」問題では、93年の国連人権委員会の差別防止・少数者保護小委員会や94年の国際法律家委員会がとりあげ、国連人権委員会に「女性に対する暴力、その原因と結果に関する特別報告者」が設置されました。報告者に任命されたラディカ・クマラスワミ氏は「慰安婦」について「明確に性奴隷制であり、かつ奴隷に似たやり方である」と告発しました。

 こうしたなか、歴史逆流勢力が巻き返しのために標的にすえたのが歴史教科書でした。自民党の「明るい日本国会議員連盟」は、96年9月「教科書問題に関する決議」をあげ、南京大虐殺や日本軍「慰安婦」に関する記述を削除するよう要求。同年12月には民間団体「新しい歴史教科書をつくる会」が発足しました。

 それを加速させたのが、安倍氏らが97年2月に結成した「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」でした。安倍氏が事務局長を務めた同会には、菅義偉、高市早苗、下村博文の各氏ら、現安倍内閣の中心閣僚が顔を並べています。

 若手議員の会は、すでに自民党総裁を経験していた河野洋平氏や石原信雄元官房副長官ら、「河野談話」作成の関係者を呼び出し、勉強会と称して攻撃的質問を浴びせていました。同会発行の冊子『歴史教科書への疑問』では、「河野官房長官談話は、当時の作られた日韓両国の雰囲気の中で、事実より外交上の問題を優先し…軍の関与、官憲等の直接な加担があったと認め、発表されたもの」(安倍氏)、「『従軍慰安婦』の強制連行など実際にはなかった」(菅氏)などと「河野談話」を攻撃していました。

 同年5月には、右翼改憲団体が合流し、「日本会議」が結成され、侵略戦争美化と改憲の両面で活動を強めました。
逆流の動き

 しかし、こうした動きは日本の「汚名をそそぐ」どころか、日本の国際的名誉を深く傷つけ、国際社会から不信、批判の的となり続けました。

 98年8月には、国連人権委員会の差別防止・少数者保護小委員会にゲイ・マクドゥーガル報告書が提出され、「慰安所」と「慰安婦」という表現は婉曲(えんきょく)であり「レイプセンターの性奴隷」と表現すべきだと厳しく批判しました。

 99年3月には、国際労働機関(ILO)条約勧告適用専門家委員会が、補償措置などを求める報告書を発表するなど、日本政府の責任回避に批判が集中しました。

 「河野談話」以降90年代には、自民党などの歴史逆流の動きに対し、「慰安婦」問題を人道犯罪とする立場から国際的批判が強まっていったのです。(つづく)

慰安婦問題 : 国連弁務官、慰安婦問題で日本批判=「性奴隷」「人権侵

日時: 4864-09-25  表示:3181回

時事通信 (2014/08/06-21:58)

 【ジュネーブ時事】ピレイ国連人権高等弁務官は6日、旧日本軍の従軍慰安婦問題に関し、日本政府が「戦時中の性奴隷」への対応を怠り、被害者の人権侵害を続けているとする声明を発表した。国連弁務官が慰安婦問題で、日本政府の対応を批判するのは初めて。
 弁務官は、慰安婦問題が「歴史の隅に置かれた事案ではなく、現在の懸案だ」と主張した。8月末の任期切れを控え、慰安婦問題を人権問題として重視している姿勢を示した。
 弁務官は、日本政府が慰安婦を指す表現として不適切としている「性奴隷」との言葉を繰り返し使用。「慰安婦問題で戦う勇気ある被害者が、償いを得られないまま、一人また一人亡くなっていくのを見るのは苦痛だ」と表明した。 
 6月に日本政府が公表した河野洋平官房長官談話の検証結果にも言及。「(検証の後)東京の団体が『慰安婦は戦時売春婦だった』と主張しているが、日本政府は公式に反論していない」と述べた。
 さらに、日本政府に「包括的で公平、長期的な解決策の追求」を要請。被害者救済など、具体的な対策を早急に講じるよう訴えた。

慰安婦問題 : 「慰安婦妄言が出ないよう全国民に教育を」国連、日本に

日時: 2014-05-26  表示:3365回

2013年05月23日08時42分 中央日報/中央日報日本語版

国連が日本に対して「全国民レベルで慰安婦問題の教育をするように」との勧告に乗り出した。

国連の経済・社会・文化的権利委員会(CESCR・社会権規約委員会)は21日、ホームページに掲載した公式見解を通じて「日本は(日本国内の)ヘイトスピーチ(Hate speech、特定人種・性・宗教などに対する憎悪表現)と元従軍慰安婦の女性らに汚名を着せるような行為を防ぐために、国民に従軍慰安婦の強制連行問題を教育することを願う」と明らかにした。

CESCRは、国連の人権保障条約である『経済的、社会的および文化的権利に関する国際規約(社会権規約)』締結国を対象に定期的に見解を発表している。CESCRの見解は法的拘束力はないが、締結国政府はこれを誠実に受け入れる義務がある。今回の見解は、先月末に日本政府と市民団体の意見を聴取した後に整理した。CESCRは「日本は従軍慰安婦問題に対処し、被害者女性の経済・社会・文化的な権利を保障するためにあらゆる手段を取るように」と付け加えた。

今回の審査は、日本の嫌韓派のロックバンドが3.1独立運動記念日を翌日に控えた2月28日、従軍慰安婦出身の女性を売春婦だとののしる歌詞の歌を入れたCDと歌詞の翻訳文を元慰安婦の女性らが住む京畿道広州(キョンギド・クァンジュ)の“ナムヌの家”に郵送した事件がきっかけになった。日本維新の会の橋下徹共同代表の慰安婦関連妄言が出てくる前のことだった。

朝日新聞は22日「日本政治家の発言を直接批判したものではないが、従軍慰安婦について日本社会で理解が深まっていない点を憂慮した言及とみられる」として「『殺せ』などのような極めて差別的な表現行為が放置されている日本の現実に対して今後も厳しい批判が続くようだ」と指摘した。

菅義偉官房長官はこの日の記者会見で「(日本政府の)立場を説明して、私たちがこの問題にどのように対応しているのか理解を得られるように努力していく」と話した。

慰安婦問題 : 旧日本軍の残虐性で新資料/中国・吉林 (2014.05.15)

日時: 2014-05-15  表示:2850回

『しんぶん赤旗』2014年5月15日(木)

中国吉林省長春市にある吉林省档案館(とうあんかん、公文書館)は4月下旬、旧日本軍の中国侵略に関する新しい資料を公表しました。旧日本軍の報告や電話記録、手紙などがあり、日本による侵略の生々しい姿を示すものとして注目を集めています。 (長春〈中国吉林省〉=小林拓也 写真も)

 1945年8月の敗戦時、長春(当時は「満州国」の首都・新京)にいた旧日本軍は証拠隠滅のため、日本の侵略に関わる大量の資料を焼却しました。焼却が間に合わないものは、穴を掘って埋めました。

 53年11月、旧日本軍の憲兵隊司令部跡に埋められた大量資料が発見されました。档案館は資料の保管と整理を行い、数年前から約60人の研究員が翻訳や研究を進めてきました。

 資料は全部で10万点以上。今回発表されたのは、南京大虐殺や「慰安婦」、細菌兵器の研究・開発に従事した関東軍「731部隊」などに関わる89点です。

 4月28日に日韓など外国メディアの前で記者会見した穆占一(ぼくせんいち)副館長は、この時期に資料の一部を公開した理由について、「近年、日本の右翼勢力が侵略の歴史を否定し美化し続けている」と強調。「今後も研究のスピードを速め、さらに多くの研究成果を発表したい」と述べました。

■「慰安婦」を集める送金記録

 資料のうち、南京大虐殺(1937年)後の治安状況に関する憲兵隊司令官・大木繁の報告は、「慰安婦」の生々しい実態を明らかにしています。

 38年2月19日の報告によると、同月1〜10日には南京に2万5000人の日本兵が駐屯し、「慰安婦」は141人でした。

 また、南京周辺の鎮江にあった慰安所にも109人の「慰安婦」がいました。日本兵は同様の期間に、のべ5734人が慰安所を利用。「慰安婦」1人が10日間で53人の日本兵に対応させられた計算になります。さらに28日の報告では、11〜20日の利用者はのべ8929人に増加し、「慰安婦」1人当たりの対応は82人になります。

 また、中国東北地方に日本がつくった「満州国」の満州中央銀行の電話記録は、44年11月〜45年3月に「慰安婦」を集める資金として、当時の金額で計53万2000円を送金したと記載しています。档案館は「慰安婦」制度が日本の国家的行為だという重要な証拠だと強調しました。

■「豆腐のように」刺し殺した

 当時の日本兵が中国から日本にいる家族に宛てた手紙の内容なども公開されました。これらの手紙は検閲で没収されたものです。

 その中には、「銃剣で突くと豆腐のように突けるのです。一、二回突くと手をぶるぶるふるわせます」と中国人を殺したときの様子を記載したものや、「僕も殺人何犯かわからぬ。然し(しかし)戦場は治外法権だからな」と書かれたものもありました。

 これらの資料について、穆副館長は「日本軍国主義が中国を侵略し、中国人民を虐殺し、人権を踏みにじった動かぬ証拠だ」と強調しました。

慰安婦問題 : 相模原の男性が語り続ける 慰安婦への加害の記憶 (2014.04.2

日時: 2014-04-21  表示:2819回

神奈川新聞 2014.04.20 14:00:00

 中国の女性たちを強姦する日本兵に私は避妊具を配った−。先の戦争で自ら手を染めた後ろ暗い過去と向き合い、告白を続ける人が相模原市南区にいる。元牧師の松本栄好さん、92歳。「傍観していた私は『戦争犯罪人』だ」。歴史への反省がかすむ社会に今、伝え残したいことが多くある。「従軍慰安婦は確かに、いた。私が証人だ」 

 筒状の器具を性器に差し込み、のぞき込む。炎症で赤くなっていないか。できものは見当たらないか。月に1度の性病検査。軍医の手伝いが衛生兵、松本さんの任務だった。

 女性の体を思ってのことではなかった。

 「兵力を維持するためだった」

 戦地や占領地では日本軍人の強姦が問題になっていた。住民の反感を買えば、治安の悪化を招き、占領はおぼつかない。一方、不衛生な現地の売春宿では性病に感染する恐れがある。病気になれば兵隊として使い物にならなくなる。強姦防止と性病予防が慰安所の目的だった。

 中国山西省盂県に出征したのは1944年2月。当時21歳。城壁で囲まれた大隊の拠点に慰安所はあった。

 「慰安婦としていたのは20代ぐらいの6、7人。日本の着物ではなかった。兵隊たちが『朝鮮ピー』と呼んでいたので、彼女たちが朝鮮の人々なのだと分かった」

 半年後、分遣隊として数十キロ離れた上社鎮という占領地区に移り、慰安所は強姦の歯止めになるどころか性的欲求をあおり、拍車を掛けていることを知る。

 「慰安所は大隊本部にしかなかった。だから兵隊たちは『討伐』と称し、村々で食料を奪うのと同時に女性たちを強姦していった」

 犯す前、松本さんは避妊具を手渡した。「気を付けろよ」。病気になるなという念押しだった。

 強姦は当時の軍刑法でも禁じられていた。「私はトルストイの禁欲主義に傾倒していて、性行為への嫌悪感が勝っていた」。それでも、目の前で繰り広げられる光景に疑問も罪悪感も湧かなかった。

 

■問題は強制の有無か

 やはり分遣隊が「討伐」に繰り出したある日、逃げ遅れた女性を拉致した。

 「20〜30代ぐらいまでの7、8人。兵隊たちにとっては『戦果』だった」

 従軍慰安婦の問題をめぐっては、軍の関与と強制性を認めた河野洋平官房長官談話の見直しを求める声が一部の政治家から上がり続ける。第1次安倍政権では「政府が発見した資料の中には、軍や官憲による、いわゆる強制連行を直接示すような記述も見当たらなかった」と明記した政府答弁書が閣議決定されている。

 松本さんは首を振り、証言を続ける。

 「女性たちは自ら歩かされ、連れてこられた。悲鳴を上げたり、騒ぐこともなかった。あの状況で逃げ出したり、抵抗したりすることにどんな意味があったか。抵抗すればいつ危害が加えられるか分からない。その絶望になぜ思いをはせないのか」

 女性たちは駐屯地の兵舎の片隅に監禁され、「兵隊たちはそこで代わる代わる強姦した。私は避妊具を配り続け、やはり女性たちの性病検査を行った」。

 1週間ほどたち、隊長の判断で女性たちを村に戻すことになった。松本さんは「女性たちの体力が低下したからだ」と思った。隊長は交換条件として、村長に命じた。

 「ほかの女を連れてこい」

 別の2人が連れてこられた。

 松本さんは言う。「慰安婦だけの問題ではない。中国や韓国の人たちが怒っているのは、それだけではないと認識すべきだ」

 村々での強姦、慰安所ではない兵舎での監禁。女性たちの体に刻み付けられた暴力の残虐さに違いなどない。なのに人集めの際の強制性の有無を論じたり、慰安婦制度ばかりに焦点が当てられることは問題の本質から目を遠ざけることになると感じている。

 「私たちは中国や朝鮮の女性を性の奴隷として扱っていた」

 そして、自身がそう認識することができたのも戦後になってからという事実にこそ目を向けなければならないと、松本さんは言う。

 

■語らないことの責任

 ニワトリや豚を盗むように女性を連れ去り、犯す−。「戦地は倫理、道徳、品性、誇りも何もないモラルのない人間がつくりあげられていく人間改造場だった」。松本さんは中国や朝鮮の人々には何をしても構わない、という空気が蔓延していたと振り返る。

 「当時の教育を見詰めないといけない。戦時動員の名の下、国家主義を浸透させるために『日本よい国 きよい国 世界に一つの神の国』と自国の民族の優位性を強調する教育が行われた。その過程でとりわけ中国や朝鮮の人々への蔑視と傲慢さが、私たちの心の内に生み出されていった」

 復員後、牧師となったが、自らも加担した蛮行を口にしたことはなかった。

 「戦争体験を多少話したことはあったが、通り一遍のこと。罪の自覚から話せなかった」

 慰安婦の女性と会話を交わしたことはあったはずだが、どんな言葉をしゃべり、どんな表情をしていたかも記憶にない。「覚えていようと思わなかったためだ」。やはり消し去りたい過去だった。

 転機は8年前。牧師を引退し、親族が住む神奈川に居を移していた。旧知の教会関係者に証言を頼まれた。使命感があったわけではない。「求められるなら話してみよう、と」。市民団体などから次々と声が掛かるようになり、反響の大きさに語る責任があることに気付かされた。

 証言するということは過去の自分と向き合うことだ。「正直、つらい。できれば黙っていたかった」。過去の否定は、いまの自分を否定することでもある。

 同じように人は望みたい歴史にしか目を向けようとしない。

 「何をしてきたのかを知らなければ、同じ過ちを繰り返す。語らないことでまた責任が生じる」

 従軍慰安婦をめぐる議論が再燃するのと時を同じくし、憲法9条を見据えた改憲や集団的自衛権の解釈変更の議論が政治の舞台で進む。「この国は戦後ではなくもう戦前と言っていい」。そして問い掛ける。

 「悪いのは政治家だけだろうか。そうした政治家を選んできたのは、過去と向き合ってこなかった私たち一人一人でもあるはずだ」

◆旧日本軍従軍慰安婦と河野談話

 戦時中、日本軍の戦地や占領地に造られた慰安所で朝鮮半島や中国、フィリピン、インドネシアなどの女性が兵士らに性的暴力を受けた。女性たちは暴行・脅迫や甘言、人身売買により連れられてきた。慰安所設置の計画立案から業者選定、女性集め、慰安所管理までが軍の管理下に置かれていたことは各種資料で裏付けられている。

 日本政府は1993年に河野洋平官房長官談話で軍の関与と強制性を認め「おわびと反省」を表明した。

 談話をめぐっては2007年に第1次安倍内閣が、軍や官憲が強制連行した証拠は見つかっていないとする政府答弁書を閣議決定。第2次内閣では、安倍晋三首相が談話の見直しを示唆。韓国の反発だけでなく米国の懸念を招き、日米韓首脳会談を前にした今年3月に談話の継承を明言。一方で談話の作成経緯についての検証は行うとしている。

【神奈川新聞】

慰安婦問題 : 歴史の偽造は許されない ――「河野談話」と日本軍「慰安

日時: 2014-03-16  表示:2642回

『しんぶん赤旗』2014年3月15日(土)

 日本共産党の志位和夫委員長が14日発表した見解「歴史の偽造は許されない――『河野談話』と日本軍『慰安婦』問題の真実」は次の通りです。
写真

(写真)見解を発表する志位和夫委員長=14日、参院議員会館
はじめに

 日本軍「慰安婦」について政府の見解を明らかにした河野洋平官房長官談話(1993年8月4日、以下「河野談話」)が国政の重大な焦点となっています。

 この間、一部勢力を中心に「河野談話」を攻撃するキャンペーンがおこなわれてきましたが、2月20日、日本維新の会の議員は、衆議院予算委員会の場で、(1)「慰安婦」を強制連行したことを示す証拠はない、(2)「河野談話」は韓国人の元「慰安婦」16人からの聞き取り調査をもとに強制性を認めているが、聞き取り調査の内容はずさんであり、裏付け調査もしていない――などと主張し、「新たな官房長官談話も考えていくべきだ」と「河野談話」の見直しを迫りました。

 こうした攻撃にたいし、本来なら「河野談話」を発表した政府が、正面から反論しなければなりません。しかし、答弁に立った菅義偉官房長官は、それに反論するどころか、「当時のことを検証してみたい」、「学術的観点からさらなる検討を重ねていく必要がある」などと迎合的な対応に終始し、2月28日には政府内に「河野談話」の検証チームを設置することを明らかにしました。また、安倍晋三首相が、維新の会の議員に対して、「質問に感謝する」とのべたと報じられました。

 「河野談話」見直し論は、歴史を偽造し、日本軍「慰安婦」問題という重大な戦争犯罪をおかした勢力を免罪しようというものにほかなりません。

 この見解では、「河野談話」への不当な攻撃に反論するとともに、それをつうじて日本軍「慰安婦」問題の真実を明らかにするものです。
「河野談話」が認めた事実、それへの攻撃の特徴は何か

 まず、「河野談話」が認めた事実とは何か、見直し派による「談話」攻撃の特徴はどこにあるかについて、見ていきます。
「河野談話」が認めた五つの事実

 「河野談話」は、1991年12月からおこなってきた政府による調査の結論だとして、次の諸事実を認めました。「談話」にそのまま沿う形で整理すると、つぎの五つの事実が認定されています。

 第1の事実。「長期に、かつ広範な地域にわたって慰安所が設置され、数多くの慰安婦が存在したことが認められた」(「慰安所」と「慰安婦」の存在)

 第2の事実。「慰安所は、当時の軍当局の要請により設営されたものであり、慰安所の設置、管理及び慰安婦の移送については、旧日本軍が直接あるいは間接にこれに関与した」(「慰安所」の設置、管理等への軍の関与)

 第3の事実。「慰安婦の募集については、軍の要請を受けた業者が主としてこれに当たったが、その場合も、甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、更に、官憲等が直接これに加担したこともあった」(「慰安婦」とされる過程が「本人たちの意思に反して」いた=強制性があった)

 第4の事実。「慰安所における生活は、強制的な状況の下での痛ましいものであった」(「慰安所」における強制性=強制使役の下におかれた)

 第5の事実。「戦地に移送された慰安婦の出身地については、日本を別とすれば、朝鮮半島が大きな比重を占めていたが、当時の朝鮮半島は我が国の統治下にあり、その募集、移送、管理等も、甘言、強圧による等、総じて本人たちの意思に反して行われた」(日本を別にすれば、多数が日本の植民地の朝鮮半島出身者だった。募集、移送、管理等は「本人たちの意思に反して行われた」=強制性があった)

 これらの諸事実の認定のうえにたって、「河野談話」は、「本件は、当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題である。政府は、この機会に、改めて、その出身地のいかんを問わず、いわゆる従軍慰安婦として数多の苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負われたすべての方々に対し心からお詫びと反省の気持ちを申し上げる」と表明しています。

 さらに、「われわれはこのような歴史の真実を回避することなく、むしろこれを歴史の教訓として直視していきたい。われわれは、歴史研究、歴史教育を通じて、このような問題を永く記憶にとどめ、同じ過ちを決して繰り返さないという固い決意を改めて表明する」とのべています。
「慰安所」における強制使役にこそ最大の問題がある

 「河野談話」が認めた諸事実のうち、「談話」見直し派が否定しようとしているのは、もっぱら第3の事実――「慰安婦」とされる過程が「本人たちの意思に反していた」=強制性があったという一点にしぼられています。(1)「慰安婦」を強制連行したことを示す証拠はない、(2)元「慰安婦」の証言には裏付けはない――こういって「河野談話」の全体を信憑(しんぴょう)性のないものであるかのように攻撃する――これが見直し勢力の主張です。

 こうした攻撃の手口そのものが、日本軍「慰安婦」問題の本質をとらえない、一面的なものであることを、まず指摘しなくてはなりません。女性たちがどんな形で来たにせよ、それがかりに本人の意思で来たにせよ、強制で連れて来られたにせよ、一たび日本軍「慰安所」に入れば監禁拘束され強制使役の下におかれた――自由のない生活を強いられ、強制的に兵士の性の相手をさせられた――性奴隷状態とされたという事実は、多数の被害者の証言とともに、旧日本軍の公文書などに照らしても動かすことができない事実です。それは、「河野談話」が、「慰安所における生活は、強制的な状況の下での痛ましいものであった」と認めている通りのものでした。この事実に対しては、「河野談話」見直し派は、口を閉ざし、語ろうとしません。しかし、この事実こそ、「軍性奴隷制」として世界からきびしく批判されている、日本軍「慰安婦」制度の最大の問題であることを、まず強調しなくてはなりません。

 そのうえで、「河野談話」見直し勢力が主張する、“「慰安婦」とされる過程が「本人たちの意思に反していた」=強制性があったという「談話」の事実認定には根拠がない”という攻撃が成り立ちうるものであるかどうか。つぎに検討していきましょう。
「河野談話」にいたる経過を無視した「談話」攻撃

 この攻撃の第一の問題点は、「河野談話」にいたる経過を無視した「談話」攻撃になっているということです。

 日本軍「慰安婦」問題が、重大な政治・外交問題となったのは1990年からですが、それから1993年8月の「河野談話」にいたる経過をみると、つぎのような事実が確認できます。

 (注)この見解では、「河野談話」にいたる事実経過の検証などのさいに、河野洋平元内閣官房長官と石原信雄元内閣官房副長官の発言を引用していますが、その出典は下記に記した通りです。

 (出典a)『オーラルヒストリー アジア女性基金』(「財団法人 女性のためのアジア平和国民基金」編集・発行)に収録された河野氏のインタビュー(2006年11月16日)。
 (出典b)同上書に収録された石原氏のインタビュー(2006年3月7日)。
 (出典c)『歴史教科書への疑問』(「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」編)に収録された河野氏の講演と質疑(1997年6月17日)。
 (出典d)朝日新聞に掲載された河野氏のインタビュー(1997年3月31日)。
韓国側から「強制連行の事実を認めよ」との訴えが提起される

 まず、日本軍「慰安婦」問題で大きな被害をこうむった韓国から、「強制連行の事実を認めよ」という訴えが、さまざまな形で提起されます。

 (1)1990年5月18日、韓国の盧泰愚(ノ・テウ)大統領(当時)の来日を前にして、韓国の女性団体が、日本軍「慰安婦」問題について「日本当局の謝罪と補償は必ずなされなければならない」との共同声明を発表します。しかし、日本政府は、その直後に国会で「慰安婦」問題が議論になったさい、軍や官憲の関与を否定し、「慰安婦」の実態調査も拒否しました(1990年6月6日)。

 (2)1990年10月17日、こうした日本政府の姿勢に対して、韓国の主要な女性37団体が共同声明を発表し、つぎの6項目からなる要求を提起します。

 「一、日本政府は朝鮮人女性たちを従軍慰安婦として強制連行した事実を認めること
  二、そのことについて公式に謝罪すること
  三、蛮行のすべてを自ら明らかにすること
  四、犠牲となった人々のために慰霊碑を建てること
  五、生存者や遺族たちに補償すること
  六、こうした過ちを再び繰り返さないために、歴史教育の中でこの事実を語り続けること」。

 (3)1991年8月14日、韓国の元「慰安婦」の一人である金学順(キム・ハクスン)さんが、「日本政府は挺身(ていしん)隊〔「慰安婦」のこと〕の存在を認めない。怒りを感じる」として、初めて実名で証言します。

 同年12月6日、金さんをふくむ韓国の元「慰安婦」3人(のちに9人)は、「組織的、強制的に故郷から引きはがされ、逃げることのできない戦場で、日本兵の相手をさせられた」として、日本政府を相手取って補償要求訴訟を提起しました。

 日本国内でも、市民団体や研究者による真相究明を求める運動が起こりました。
日本政府、「慰安婦」に政府(軍)の関与認める

 こうした事態をうけ、日本政府は、1991年12月から日本軍「慰安婦」問題について本格的な調査に乗り出します。

 (1)1992年7月6日、加藤紘一官房長官(当時)が談話を発表し、関係資料を調査した結果として、「慰安所の設置、慰安婦の募集に当たる者の取締り、慰安施設の築造・増強、慰安所の経営・監督、慰安所・慰安婦の衛生管理、慰安所関係者への身分証明書等の発給等につき、政府の関与があったことが認められた」とし、「従軍慰安婦として筆舌に尽くし難い辛苦をなめられた全ての方々に対し、改めて衷心よりお詫びと反省の気持ちを申し上げたい」と表明しました。

 こうして、加藤談話は、「慰安婦」問題での政府(軍)の関与を認めるものとなりました。慰安所の経営・監督にかかわる公文書には、「慰安所規定」も含まれており、「慰安所」における「慰安婦」の生活が自由のない強制的なものであったこと――強制使役であったことも、この調査によって明らかになりました。同時に、加藤長官が、「朝鮮人女性の強制徴用を示す資料はなかったのか」との問いに、「募集のしかたについての資料は発見されていない」と答えたことが、「強制連行は否定」と報道され、談話への強い批判が寄せられます。

 (2)この調査に対しては、国内外から「調査が不十分」との批判があがります。とくに、韓国政府は、日本政府の調査を「評価する」と指摘する一方、「全貌を明かすところまでは至っていない」として、(1)今後も日本政府による真相糾明への努力を期待する、(2)韓国政府として独自の調査報告書を発表する――と表明しました。

 1992年7月31日、韓国政府は、元「慰安婦」からの聞き取り調査も経て200ページを超える報告書(「日帝下の軍隊慰安婦実態調査中間報告書」)を発表し、韓国政府として「慰安婦の募集方法」などの追加調査を求めました。
“強制性を立証する日本側の公文書は見つからなかった”

 (1)これらの事態を受けて、日本政府は再度、国内だけでなく国外まで広げて「慰安婦」問題の調査をすすめます。

 この再調査では、「慰安婦」とされる過程での強制性、すなわち「本人の意思に反して慰安婦とされた」という事実を立証する公文書を見つけることが、大きな焦点の一つとなりました。しかし、日本政府の再調査でも、結局、日本側の公文書に関して言えば、そうした文書を見つけることはできませんでした。

 それは、「談話」を発表した河野元官房長官が「女性を強制的に徴用しろといいますか、本人の意思のいかんにかかわらず連れてこい、というような命令書があったかと言えば、そんなものは存在しなかった。調べた限りは存在しなかった」(出典c)とのべ、「談話」をとりまとめる事務方の責任者だった石原信雄元官房副長官が「通達とか指令とかいろんな資料を集めたんですけど、文書で強制性を立証するようなものは出てこなかったんです」(出典b)と証言しているとおりです。

 (2)強制的に「慰安婦」とされたことを立証する日本側の公文書が見つからなかったことは、不思議なことでも、不自然なことでもありません。拉致や誘拐などの行為は、当時の国内法や国際法でも、明々白々な犯罪行為でした。政府であれ、軍であれ、明々白々な犯罪行為を指示する公文書などを、作成するはずがありません。かりに、それを示唆するような文書があったとしても、敗戦をむかえるなかで、他の戦争犯罪につながる資料とともに処分されたことが推測されます。

 河野氏も「こうした問題で、そもそも『強制的に連れてこい』と命令して、『強制的に連れてきました』と報告するだろうか」(出典d)、「そういう命令をしたというような資料はできるだけ残したくないという気持ちが軍関係者の中にはあったのではないかと思いますね。ですからそういう資料は処分されていたと推定することもできるのではないかと考えられます」(出典a)と同様の認識を示しています。

 強制性を証明する日本側の文書が見つからなかったことをもって、強制的に「慰安婦」とされたという事実そのものを否定することは、まったく成り立たない議論です。
強制性を検証するために、元「慰安婦」への聞き取り調査をおこなう

 (1)文書が見つからないもとで、日本政府は、「慰安婦」とされた過程に強制性があったかどうかについての最終的な判断を下すため、ここで初めて政府として直接に元「慰安婦」から聞き取り調査をおこなうことを決定し、調査団を韓国に派遣します。そして、元「慰安婦」16人からの直接の聞き取り調査をおこないます。

 このように、元「慰安婦」からの聞き取り調査の目的は、強制的に「慰安婦」にしたという日本側の公文書が発見されないもとで、強制されたという主張が真実かどうかを、直接、被害者から聴取することで検証しようとするところにありました。

 聞き取り調査の目的がここにあったことは、河野・石原両氏の証言からも明白です。河野氏は、「文書資料を見つけることも大事だけれども、いわゆる慰安婦だったという方から聞き取り調査を丁寧にやる方がいいということで、韓国で聞き取り調査をやることにした」(出典a)と証言しています。石原氏は、「強制性を立証できるような物的証拠」がないもとで、「元慰安婦の人たちにお会いして、その人たちの話から状況判断、心証をえて、強制的に行かされたかどうかを最終的に判断しようということにした」(出典b)とのべています。

 (2)そして元「慰安婦」の人たちの証言を聞いた結果、日本政府は、「慰安所」における強制使役とともに、「慰安婦」とされた過程にも強制性があったことは間違いないという判断をするに至ります。そうした判断をするにいたった事情について、「談話」のとりまとめにあたった河野・石原両氏は、つぎのように証言しています。

 河野氏は、「話を聞いてみると、それはもう明らかに厳しい目にあった人でなければできないような状況説明が次から次へと出てくる。その状況を考えれば、この話は信憑性がある、信頼するに十分足りるというふうに、いろんな角度から見てもそう言えるということがわかってきました」(出典a)とのべています。

 石原氏は、「その報告の内容から、明らかに本人の意に反して連れて行かれた人、だまされた人、普通の女子労働者として募集があって行ったところが慰安所に連れて行かれたという人、それからいやだったんだが、朝鮮総督府の巡査が来て、どうしても何人か出してくれと割り当てがあったので、そういう脅しというか、圧力があって、断れなかったというような人がいた。何人かそういう人がいたので、総合判断として、これは明らかにその意に反して慰安婦とされた人たちが一六人のなかにいることは間違いありませんという報告を調査団の諸君から受けたわけです。総理も官房長官も一緒にその話を聞いたんです。結局私どもは、通達とか指令とかという文書的なもの、強制性を立証できるような物的証拠は見つけられなかったのですが、実際に慰安婦とされた人たち一六人のヒヤリングの結果は、どう考えても、これは作り話じゃない、本人がその意に反して慰安婦とされたことは間違いないということになりましたので、そういうことを念頭において、あの『河野談話』になったわけです」(出典b)とのべています。

 こうして、「河野談話」では、朝鮮半島では「(慰安婦の)募集、移送、管理等も、甘言、強圧による等、総じて本人たちの意思に反して行われた」ことが明記され、「慰安婦」とされる過程でも「本人たちの意思に反し」た=強制性があったことを、認めるに至ったのです。また、他の証言記録や資料も参照した上で、全体状況としては、「慰安婦の募集については、軍の要請を受けた業者が主としてこれに当たったが、その場合も、甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた例が数多くあり、更に、官憲等が直接これに加担したこともあった」ことが明記されたのです。

 「河野談話」の作成は、もちろん河野氏個人によるものでなく、当時の総理大臣、官房長官、官房副長官、外務省、厚生省、労働省など関係省庁などが集団的に検討・推敲(すいこう)し、内閣の責任でおこなったものであることは、河野・石原両氏が証言していることです。
元「慰安婦」証言から強制性の認定をおこなった「河野談話」の判断は公正で正当なもの

 (1)「河野談話」見直し派は、元「慰安婦」の証言について、「裏付け調査をしていない」ことをことさらに問題視していますが、これは聞き取り調査の目的を理解しない、ためにする議論です。

 すでにのべてきたように、元「慰安婦」に対する聞き取り調査の目的は、日本軍「慰安婦」制度において、女性たちが「慰安婦」とされた過程に強制性があったか否かということを最大の焦点として、その実態と真相を究明することにありました。

 それは、刑事裁判における証言のように、個別具体的な犯罪行為を特定して裁くことを目的としたものではありません。また、民事裁判における証言のように個々の被害事実を認定して賠償させることを目的とするものでもありません。

 16人の元「慰安婦」の聞き取り調査は、「慰安婦」とされた方から直接に話を聞くことで、「意思に反して慰安婦とされた」という訴えに真実性があるかどうかを判断するということを最大の目的にしておこなわれたものです。この点で、十分に確信をもって強制性を判断できる証言を得たというのが聞き取り調査だったのですから、「裏付け調査」など、もとより必要とされなかったのです。

 (2)もともと、元「慰安婦」の聞き取り調査について、「裏付け調査をしていない」とか、証言に「間違いがある」、「信憑性に疑問がある」などの批判は、いまに始まったことではありません。こうした批判にたいしては、当事者である河野氏が、すでに1997年の段階でおこなった一連の発言の中で、次のようにのべています。

 「半世紀以上も前の話だから、その場所とか、状況とかに記憶違いがあるかもしれない。だからといって、一人の女性の人生であれだけ大きな傷を残したことについて、傷そのものの記憶が間違っているとは考えられない。実際に聞き取り調査の証言を読めば、被害者でなければ語り得ない経験だとわかる」(出典d)。

 「局部的には思い違いがあるのではないか、こんなことはなかったのではないか、つまり、場所が違ってやしないかとか、何がどうだということはあったとしても、大筋において経験がなければ、体験がなければ、こんなことを証言できないと思える部分というのは、非常にあっちこっちにあるということははっきりしています」(出典c)。

 「私はその証言を全部拝見をしました。『その証言には間違いがある』という指摘をされた方もありますが、少なくとも被害者として、被害者でなければ到底説明することができないような証言というものがその中にあるということは重く見る必要がある、というふうに私は思ったわけでございます。

 ……はっきりしていることは、慰安所があり、いわゆる慰安婦と言われる人たちがそこで働いていたという事実、これははっきりしています。それから慰安婦の輸送について軍が様々な形で関与したということも、これもまた資料の中で指摘をされていたと思います。

 そういう状況下でもう一つは、……当時の社会情勢の中で軍が持っている非常に圧倒的な権力というものが存在した。他方、いわゆる従軍慰安婦であったと言われる方々からの証言というものを聞いてみても、それはもう明らかに被害者でなければ言えないような証言というものが聞かれた。等々それらを総合的に判断をすれば、これはそうしたこと(強制性)がなかったとは到底言えない。むしろそういうことがあったと言わざるを得ない状況であろう、というふうに私は判断をしたわけでございます」(出典c)。

 河野氏は、かりに個々には「局部的に思い違い」などがあったとしても、16人の元「慰安婦」の証言の全体と当時の資料等を「総合的に判断」するならば、日本軍「慰安婦」制度において、「慰安婦」とされる過程で強制性が存在したことは否定できない事実だとの認定をおこなったとしています。

 これは当然の責任ある判断です。当時の政府が、「河野談話」において、こうした立場にたって認定をおこなったことは、公正で正当なものでした。
日本の司法による事実認定――「河野談話」の真実性は歴史によって検証された

 「河野談話」見直し派の攻撃の第二の問題点は、「談話」が発表されて以降の20年余、「談話」の真実性を裏付ける無数の証拠が次つぎに明らかにされたにもかかわらず、それを一切無視しているということです。
加害国である日本の司法による事実認定

 証拠は、被害者の証言、加害者側の証言・記録、内外の公文書など、さまざまな形で明らかにされていますが、そのなかでも、加害国である日本の司法による事実認定は、きわめて重い意味をもっています。

 各国の元「慰安婦」が、日本政府を被告として謝罪と賠償を求めた裁判は、つぎの10件にのぼります。

 1、「アジア太平洋戦争韓国人犠牲者補償請求訴訟」(提訴年1991年、原告9人)。
 2、「釜山『従軍慰安婦』・女子勤労挺身隊公式謝罪等請求訴訟」(提訴年1992年、原告3人)。
 3、「フィリピン『従軍慰安婦』国家補償請求訴訟」(提訴年1993年、原告46人)。
 4、「在日韓国人元『従軍慰安婦』謝罪・補償請求訴訟」(提訴年1993年、原告1人)。
 5、「オランダ人元捕虜・民間抑留者損害賠償請求訴訟」(提訴年1994年、原告1人)。
 6、「中国人『慰安婦』損害賠償請求訴訟(第一次)」(提訴年1995年、原告4人)。
 7、「中国人『慰安婦』損害賠償請求訴訟(第二次)」(提訴年1996年、原告2人)。
 8、「山西省性暴力被害者損害賠償等請求訴訟」(提訴年1998年、原告10人)。
 9、「台湾人元『慰安婦』謝罪請求・損害賠償訴訟」(提訴年1999年、原告9人)。
10、「海南島戦時性暴力被害賠償請求訴訟」(提訴年2001年、原告8人)。

  (注)原告数は、「慰安婦」被害者・その遺族・訴訟承継人の数で、その他の原告は含んでいません。また、原告の数は、2次、3次の提訴分も含みますが、「中国人『慰安婦』損害賠償請求訴訟」以外は一つの判決にまとめられているので、合計しています。

 これらの裁判の結論は、いずれも原告の損害賠償請求を認めるものとはなりませんでしたが、10件の裁判のうち8件の裁判(上記裁判のうち「フィリピン『従軍慰安婦』国家補償請求訴訟」、「台湾人元『慰安婦』謝罪請求・損害賠償訴訟」をのぞく8件の裁判)の判決では、元「慰安婦」たちの被害の実態を詳しく事実認定しています。

 それらの一連の判決は、「河野談話」が認めた、「慰安所」への旧日本軍の関与、「慰安婦」とされる過程における強制性、「慰安所」における強制使役などを、全面的に裏付ける事実認定をおこなっています。加害国である日本の裁判所が、厳格な証拠調べをおこなった結果認定している事実認定は、特別の重さがあります。それは、「河野談話」見直し派が声高に叫ぶ「強制連行はなかった」という主張を打ち砕くものとなっています。
「河野談話」が認めた五つの事実のすべてが「事実と証拠」に基づいて認定された

 一連の判決の中では、事実認定は、(1)事件の「背景事情」と、(2)「各原告の被害事実」についておこなわれています。

 まず事件の「背景事情」について、一連の裁判の判決は、「河野談話」が認めた事実をほぼ全面的に認めるものとなっています。たとえば、韓国人元「慰安婦」たちが提起した「アジア太平洋戦争韓国人犠牲者補償請求訴訟」における東京高裁判決(2003年7月22日)はつぎのようにのべています。

 「本件の背景事情のうち争いのない事実と証拠(……)によれば、次の事実が認められる。

 ア、旧日本軍においては、昭和7年(1932年)のいわゆる上海事変の後ころから、醜業を目的とする軍事慰安所(以下単に『慰安所』という。)が設置され、そのころから終戦時まで、長期に、かつ広範な地域にわたり、慰安所が設置され、数多くの軍隊慰安婦が配置された。……

 イ、軍隊慰安婦の募集は、旧日本軍当局の要請を受けた経営者の依頼により、斡旋業者がこれに当たっていたが、戦争の拡大とともに軍隊慰安婦の確保の必要性が高まり、業者らは甘言を弄し、あるいは詐欺脅迫により本人たちの意思に反して集めることが多く、さらに、官憲がこれに加担するなどの事例も見られた。

 戦地に移送された軍隊慰安婦の出身地は、日本を除けば、朝鮮半島出身者が大きな比重を占めていた。

 ウ、旧日本軍は、業者と軍隊慰安婦の輸送について、特別に軍属に準じて渡航許可を与え、また、日本国政府は軍隊慰安婦に身分証明書の発給を行っていた。

 エ、慰安所の多くは、旧日本軍の開設許可の下に民間業者により経営されていたが、一部地域においては旧日本軍により直接経営されていた例もあった。民間業者の経営については、旧日本軍が慰安所の施設を整備したり、慰安所の利用時間、利用料金、利用に際しての注意事項等を定めた慰安所規定を定め、軍医による衛生管理が行われるなど、旧日本軍による慰安所の設置、運営、維持及び管理への直接関与があった。

 また、軍隊慰安婦は、戦地では常時旧日本軍の管理下に置かれ、旧日本軍とともに行動させられた。……」。

 このように判決文は、「河野談話」が認定した五つの事実のほぼすべてについて、裁判をつうじての「争いのない事実と証拠」にもとづいて、事実認定しています。
被害者の一人ひとりについて詳細な事実認定がおこなわれた

 一連の判決は、「各自の事実経過」として、元「慰安婦」が被った被害について、一人ひとりについて詳細な事実認定をおこなっています。

 八つの裁判の判決で、被害を事実認定されている女性は35人にのぼります。内訳は韓国人10人、中国人24人、オランダ人1人です。一人ひとりの被害に関する事実認定は、読み通すことに大きな苦痛を感じる、たいへん残酷かつ悲惨な、生なましい事実が列挙されています。その特徴点をまとめると、以下のことが確認できます。
(1)35人の被害者全員が強制的に「慰安婦」にさせられたと事実認定した

 八つの裁判の判決では、35人全員について、「慰安婦」とされた過程が「その意に反していた」=強制性があったことを認定しています。「慰安婦」とされた年齢については、裁判記録で確認できるものだけでも、35人のうち26人が10代の未成年でした。

 韓国人の被害者のケース。甘言など詐欺によるものとともに、強圧をもちいての強制的な連行の事実が認定されています。たとえば、「アジア太平洋戦争韓国人犠牲者補償請求訴訟」の東京高裁判決(2003年7月22日)、「釜山『従軍慰安婦』・女子勤労挺身隊公式謝罪等請求訴訟」の広島高裁判決(2001年3月29日)で認定された個々の被害事実のうち、4名のケースについて示すことにします。(〈 〉内は引用者)。

 ●「帰宅する途中、釜山駅近くの路地で日本人と朝鮮人の男性二人に呼び止められ、『倉敷の軍服工場にお金を稼ぎに行かないか。』と言われ、承諾もしないうちに、船に押し乗せられてラバウルに連行された」。

 ●「『日本人の紹介するいい働き口がある』と聞いて行ったところ、日本人と朝鮮人に、芙江から京城、天津を経て〈中国各地の慰安所に〉連れて行かれた」。

 ●「日本人と朝鮮人が来て、『日本の工場に働きに行けば、一年もすれば嫁入り支度もできる。』と持ちかけられ、断ったものの、強制的にラングーンに連れて行かれ、慰安所に入れられ〈た〉」。

 ●「日本人と朝鮮人の青年から『金儲けができる仕事があるからついてこないか。』と誘われて、これに応じたところ、釜山から船と汽車で上海まで連れて行かれ、窓のない30ぐらいの小さな部屋に区切られた『陸軍部隊慰安所』という看板が掲げられた長屋の一室に入れられた」。

 中国人の被害者のケース。そのすべてについて、日本軍人による暴力を用いての文字通りの強制連行が認定されています。「中国人『慰安婦』損害賠償請求訴訟(第一次)」の東京高裁判決(2004年12月15日)が認定した4名の被害事実について示すことにします。

 ●「日本軍兵士によって自宅から日本軍の駐屯地のあった進圭村に拉致・連行され、駐屯地内のヤオドン(岩山の横穴を利用した住居。転じて、横穴を穿ったものではなく、煉瓦や石を積み重ねて造った建物も指す。)に監禁された」。

 ●「3人の中国人と3人の武装した日本軍兵士らによって無理やり自宅から連れ出され、銃底で左肩を強打されたり、後ろ手に両手を縛られるなどして抵抗を排除された上、進圭村にある日本軍駐屯地に拉致・連行され、ヤオドンの中に監禁された」。

 ●「日本軍が襲い、……銃底で左腕を殴られたり、後ろ手に縛られたりして進圭村に連行され、一軒の民家に監禁された」。

 ●「日本軍兵士によって強制的に進圭村の日本軍駐屯地に拉致・連行され、日本軍兵士などから『夫の居場所を吐け』などと尋問されたり、何回も殴打されるなどした上、ヤオドンの中に監禁され〈た〉」。
(2)「慰安所」での生活は、文字通りの「性奴隷」としての悲惨極まるものだった

 被害者の女性たちが、「慰安所」に入れられた後の生活は、一切の自由を奪われる状況のもとで、連日にわたって多数の軍人相手の性行為を強要されるという、文字通りの「性奴隷」としての悲惨極まりないものだったことが、35人の一人ひとりについて、具体的に事実認定されています。「慰安所」での生活は、性行為の強要だけでなく、殴打など野蛮な暴力のもとにおかれていたことも、明らかにされています。
(3)被害者は、肉体的・精神的に深い傷を負い、生涯にわたる後遺症に苦しんでいる  

 被害者の女性たちが、「慰安所」での虐待によって、肉体的・精神的に深い傷を負い、生涯にわたって後遺症に苦しんでいる事実も認定されています。多くの女性たちが、戦後から今日にいたるまで、「慰安所」での虐待によって、不妊、さまざまな身体的障害、重度の心的外傷後ストレス障害(PTSD)などに苦しめられている事実が明らかにされています。

 これらの個々の事実認定は、「河野談話」が認めた「甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して」慰安婦とされたこと、「官憲等が直接これに加担したこと」、「慰安所における生活は、強制的な状況の下での痛ましいものだったこと」を、否定できない事実の積み重ねによって、明らかにするものとなっています。

 「河野談話」見直し派は、日本の司法によるこうした事実認定を前にしてもなお、「強制連行はなかった」、「強制的に『慰安婦』とされたという主張には根拠がない」と言い張るつもりでしょうか。
国家的犯罪として断罪されるべき反人道的行為との告発が

 日本の司法による判決は、個々の被害事実を認定しているだけではありません。こうした強制が国家的犯罪として断罪されるべき反人道的行為であることをつぎのように告発しています。

 「甘言、強圧等により本人の意思に反して慰安所に連行し、さらに、旧軍隊の慰安所に対する直接的、間接的関与の下、政策的、制度的に旧軍人との性交を強要したものであるから、これが二〇世紀半ばの文明的水準に照らしても、極めて反人道的かつ醜悪な行為であったことは明白であり、少なくとも一流国を標榜する帝国日本がその国家行為において加担すべきものではなかった」「従軍慰安婦制度がいわゆるナチスの蛮行にも準ずべき重大な人権侵害であって、これにより慰安婦とされた多くの女性の被った損害を放置することもまた新たに重大な人権侵害を引き起こす……」(「釜山『従軍慰安婦』・女子勤労挺身隊公式謝罪等請求訴訟」、山口地裁下関支部判決、1998年4月27日)。

 「被害者原告らに対して加えられた日本兵による強姦等の所業は、それが日中戦争という戦時下において行われたものであったとしても、著しく常軌を逸した卑劣な蛮行というほかはなく、被害者原告らが被った精神的被害が限りなく甚大で、原告ら主張のとおり耐え難いものであったと推認するに難くはなく、また、そのような被害を契機として、その同胞からいわれのない侮蔑、差別などを受けたことも、国籍・民族の違いを超えて、当裁判所においても、優に認め得ることができ〈る〉……」(「山西省性暴力被害者損害賠償請求訴訟」、東京地裁判決、2003年4月24日)。

 「極めて反人道的かつ醜悪な行為」、「ナチスの蛮行にも準ずべき重大な人権侵害」、「著しく常軌を逸した卑劣な蛮行」――日本の司法による判決でのこのような峻烈(しゅんれつ)な断罪は、きわめて重く受け止めるべきものです。
「河野談話」の真実性は、いよいよ確かなものとなった

 元「慰安婦」が提起した一連の裁判の判決の意義について、河野元官房長官は次のようにのべています。

 「平成三年(一九九一)か、四年(一九九二)から、いわゆる従軍慰安婦と言われた人たちが、日本へ来て訴訟を起こすわけですね。その訴訟裁判で事実関係についても、いろいろやりとりがある。平成一四年(二〇〇二)に高裁の判決が出て、最高裁に上告されて最高裁はそれを棄却するわけですね。棄却すると結局高裁の判断が最終的な判断ということになるわけですが、その高裁の判断の裁判長の説明の中に、補償することはもうない、時間が経過してしまったし、両国関係において条約的な処理がなされている、したがって、この人に補償を出すことはないという判断ですが、この人が従軍慰安婦としてどのくらいの苦しみを受けたかという事実関係については、高裁が全部認定した形になっているんですね。最高裁が上告を棄却して戻すわけですから、私は日本の司法はその部分については認めたことになっていると思うんです。その高裁の判決文を読むと、……数人の慰安婦と言われる原告が自分の経験を述べておられて、そのことが判決文にみな書かれてある。それはもう司法の判断としても、そのとおりだという判断を下している。司法のレベル、司法の分野では決着がついていると私は見ているわけです。それに対して政治の世界が、あれはおかしいという。あるいは学術の世界では、学問的にどうだということをいう。それぞれお立場上おっしゃることはご自由ですけれども、事実関係については、私はもう日本の司法が認定をしたと考えています。それはわれわれが聞き取り調査をしたりしたことは間違いなかったということを保証してくれるものであると思います」(出典a)。

 河野氏がのべているように、日本軍「慰安婦」に関する事実関係について、「日本の司法が認定」を下し、「司法の分野では決着」がついたのです。司法の認定は、16人の元「慰安婦」への聞き取り調査にもとづく当時の日本政府の判断が、「間違いなかったということを保証」するものともなりました。「河野談話」の真実性は、日本の司法によって、いよいよ確かなものとなったのです。
「軍や官憲による強制連行を直接示す記述はなかった」とする政府答弁書の撤回を
「強制連行を直接示す記述はなかった」とする政府答弁書は、事実と違う

 「河野談話」見直し派が、「強制連行を示す証拠はない」などと主張するさいに、その「根拠」として最大限利用しているのが、第1次安倍政権が閣議決定した2007年3月16日の政府答弁書(辻元清美衆議院議員の質問主意書にたいする答弁書)です。この政府答弁書には、次の記述が含まれています。

 「同日(『河野談話』を発表した1993年8月4日)の調査結果の発表までに政府が発見した資料の中には、軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述も見当たらなかったところである」。

 しかし、この政府答弁書は、事実と違います。

 すでにのべてきたように、「河野談話」を発表した時点までに、「慰安婦」とされる過程での強制性を立証する日本側の公文書は見つかりませんでした。しかし、この時点でも、すでに強制的に「慰安婦」にされたことを示す外国側の公文書は存在していました。少なくとも、つぎの二つの公文書は、日本政府は間違いなく知っていたはずです。
オランダ人女性を強制的に連行して「慰安婦」とした「スマラン事件」

 第一は、日本の占領下に置かれたオランダ領東インド(現インドネシア)のスマランで軍が「慰安所」を開設し、抑留所に収容していたオランダ人女性を強制的に連行して「慰安婦」にしたという「スマラン事件」にかかわる公文書です。

 「スマラン事件」では、戦後のオランダによるBC級戦犯裁判(バタビア臨時軍法会議)で中将や大佐、少佐など日本の軍人7名と軍慰安所経営者4名が死刑や禁錮15年を含む有罪判決を受けました。

 この裁判文書を法務省が要約した「バタビア臨時軍法会議の記録」が、「河野談話」の発表とあわせて公表された「いわゆる従軍慰安婦問題の調査結果について」(内閣外政審議室、1993年8月4日)に含まれていました。そこには「判決事実の概要」として次のような記述がなされています。

 「女性の全員又は多くが強制なしには売春に応じないであろうことを察知し得たにもかかわらず、監督を怠った事実、及び、慰安所で女性を脅して売春を強制するなどし、また部下の軍人又は民間人がそのような戦争犯罪行為を行うことを知り、又は知り得たのにそれを黙認した」(死刑とされた元少佐)

 「部下の軍人や民間人が上記女性らに対し、売春をさせる目的で上記慰安所に連行し、宿泊させ、脅すなどして売春を強要するなどしたような戦争犯罪行為を知り又は知り得たにもかかわらずこれを黙認した」(有期刑10年の元少佐)

 これらの事実は、「河野談話」のとりまとめにあたって各省庁に提出させた文書の一環として、法務省が「いわゆる従軍慰安婦問題に関連する戦争犯罪裁判についての調査結果の報告」としてまとめた報告の中にもほぼ同じ内容で記述されています。

 「河野談話」の発表のさいは、法務省のまとめた「判決事実の概要」だけが発表され、そのもととなった裁判原資料は公開されませんでしたが、こうした「概要」からだけでも、強制連行の事実を十分に確認することができます。

 さらに2013年9月、法務省の集めていた起訴状や判決文など530枚にのぼる原資料が、市民団体の請求に応じて国立公文書館で開示されました。そこには、判決文をはじめ、強制連行の事実を生々しく示す証拠資料が多数含まれています。判決文は次のように事実認定しています。

 「日本占領軍当局は、之等婦女子より自由を奪ふことに依りて完全なる従属状態に置き以て彼女等の扶養、保護に対する責任を一手に掌握せり。之にも飽き足らず、占領軍当局者は此の無援、不当なる従属関係を濫用し、暴力或は脅迫を以て、数名の婦女子を最も侮辱的なる選択の後、抑留所より連行せり」。

 これらは、「軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述」そのものです。しかも、この開示資料の中には、ジャワ軍司令部そのものが関与していたことを示す日本軍幹部の証言も含まれていました。

 「河野談話」の発表に先立って、日本政府が、強制連行を直接の形で示すこれらの公文書を把握していたことは、疑いようがありません。
東京裁判の判決に明記されている中国南部の桂林での強制連行

 第二は、極東国際軍事裁判所(東京裁判)の判決に明記されている中国南部の桂林での強制連行の事例です。

 東京裁判の裁判文書の中には、中国、インドネシア、ベトナムという3カ国での強制連行を示す証拠文書が含まれています。とりわけ桂林については、判決そのものにつぎのような記述があります。

 「桂林を占領している間、日本軍は強姦と掠奪のようなあらゆる種類の残虐行為を犯した。工場を設立するという口実で、彼らは女工を募集した。こうして募集された婦女子に、日本軍隊のために醜業を強制した」。

 この記述も、軍による強制的な連行を示すものであることは明らかです。

 日本は、1952年のサンフランシスコ平和条約で、東京裁判やBC級戦犯裁判の結果を受諾しています。したがって、その内容について知らないはずはありません。また、その内容について異議をのべる立場にないことは明らかです。その点は、安倍政権自身が、「我が国は、日本国との平和条約第十一条により、同裁判を受諾しており、国と国との関係において、同裁判について異議を述べる立場にはない」(2007年4月20日の政府答弁書)と回答している通りです。

 日本政府として、BC級戦犯裁判や東京裁判の公文書に明記されている強制連行を示す記述を知らなかったと言い張ることは、通用する話では決してありません。
事実と異なり、有害きわまる役割を果たしている政府答弁書の撤回を求める

 このように、「河野談話」の発表までの時点でみても、「政府が発見した資料」(あるいは政府が知っていた資料)のなかに、「軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述」があったことは、否定しようのない事実です。

 さらに、「河野談話」発表以後、日本の司法の裁判によって明らかになった強制連行の数々の事実認定を踏まえるならば、「軍や官憲による強制連行を直接示すような記述が見当たらなかった」とする政府答弁書の立場に、今日なお政府が固執し、その主張を繰り返すことは、許されるものではありません。

 第1次安倍政権による政府答弁書は、「河野談話」見直し派によって、「錦の御旗」として利用されています。それは独り歩きして、歴史の事実を捻(ね)じ曲げる役割を果たしています。すなわち、政府答弁書そのものは、「軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述も見当たらなかった」であるのに、それが「強制連行を示す証拠はなかった」と読み替えられ、さらに「強制連行はなかった」と読み替えられ、日本軍「慰安婦」制度の強制性全般を否定する最大のよりどころとして利用されているのです。

 日本共産党は、事実と異なり、歴史の事実を捻じ曲げる有害きわまる役割を果たしている、2007年3月16日の政府答弁書を撤回することを、強く求めるものです。
歴史に正面から向き合い、誠実かつ真摯に誤りを認め、未来への教訓とする態度を
女性に対する国際的人権保障の発展と、日本軍「慰安婦」問題

 この間、国際社会では、女性に対する組織的な性暴力――強姦、性的奴隷、強制売淫、強制妊娠、強制不妊など――を時効の許されない「人道に対する罪」に位置づけた国際刑事裁判所の「規程」の採択(1998年)など、女性の国際的人権保障が大きく発展してきました。

 女性に対するいっさいの組織的な性暴力を根絶し、そのためにも、過去の重大な誤りの清算を求めている国際社会にあって、日本軍「慰安婦」問題での日本の態度がたえず批判の対象にされるのは当然であり、日本政府には、国際的な批判にこたえる国際的な責務があります。
「性奴隷制」を認め、強制性を否定する議論に反論を――これが世界の声

 (1)「強制連行はなかった」とする安倍政権の動きが強まった2007年以降、日本軍「慰安婦」制度の強制性を否定する勢力の策動は、世界中から厳しい批判をあびました。

 これまでに、米国下院、オランダ下院、カナダ下院、欧州議会、韓国国会、台湾立法院、フィリピン下院外交委員会と七つの国・地域の議会から日本政府にたいする抗議や勧告の決議があげられています。国連や国際機関からも、国連の二つの詳しい調査報告書(1996年の国連人権委員会「クマラスワミ報告」、1998年の同委員会「マクドゥーガル報告」)のほか、国連人権理事会、自由権規約委員会、社会権規約委員会、女性差別撤廃委員会、拷問禁止委員会、国際労働機関(ILO)などから、日本政府にたいする是正勧告が繰り返し出されています。

 (2)2007年7月に採択された米国下院の決議は次のようにのべています。

 「日本政府は、……世界に『慰安婦』として知られる、若い女性たちに性的奴隷制を強いた日本皇軍の強制行為について、明確かつ曖昧さのない形で、歴史的責任を公式に認め、謝罪し、受け入れるべきである」。

 「日本政府は、日本皇軍のための『慰安婦』の性奴隷化と人身取引は決してなかったとするいかなる主張にたいしても、明確かつ公的に反駁(はんばく)すべきである」。

 (3)2007年12月に採択された欧州議会の決議は次のようにのべています。

 「世界に『慰安婦』として知られる、若い女性たちに性的奴隷制を強いた日本皇軍の強制行為について、明確かつ曖昧さのない形で、歴史的かつ法的責任を公式に認め、謝罪し、受け入れることを、日本政府に要請する」。

 「『慰安婦』の隷属化と奴隷化は決してなかったとするいかなる主張にたいしても、公的に反駁することを日本政府に要請する」。

 日本軍「慰安婦」制度は、政府と軍による「性的奴隷制」であったという事実を明確かつ曖昧さのない形で公式に認めるべきだ、「慰安婦」制度の強制性を否定するいかなる主張に対しても明確かつ公式に反論するべきだ――これが日本政府につきつけられている世界の声なのです。

 「河野談話」の見直しを叫び、日本軍「慰安婦」制度の強制性を否定する主張は、日本のごく一部の極右的な集団のなかでは通用しても、世界ではおよそ通用しないものであり、最も厳しい批判の対象とされる主張といわなければなりません。
歴史を改ざんする勢力に未来はない

 いま日本政府の立場が厳しく問われています。

 安倍政権が、「河野談話」見直し論にたいして、毅然(きぜん)とした態度をとらず、それに迎合する態度をとり続けるならば、人権と人間の尊厳をめぐっての日本政府の国際的信頼は大きく損なわれることになるでしょう。

 都合の悪い歴史を隠蔽(いんぺい)し、改ざんすることは、最も恥ずべきことです。そのような勢力に未来は決してありません。

 日本共産党は、日本政府が、「河野談話」が明らかにした日本軍「慰安婦」制度の真実を正面から認めるとともに、歴史を改ざんする主張にたいしてきっぱりと反論することを強く求めます。さらに、「河野談話」が表明した「痛切な反省」と「心からのお詫び」にふさわしい行動――事実の徹底した解明、被害者にたいする公式の謝罪、その誤りを償う補償、将来にわたって誤りを繰り返さないための歴史教育など――をとることを強く求めるものです。

 歴史はつくりかえることはできません。しかし向き合うことはできます。歴史の真実に正面から向き合い、誠実かつ真摯(しんし)に誤りを認め、未来への教訓とする態度をとってこそ、日本はアジアと世界から信頼され尊敬される国となることができるでしょう。

 日本共産党は、歴史の逆流を一掃し、日本の政治のなかに、人権と正義、理性と良心がつらぬかれるようにするために、あらゆる力をつくすものです。

慰安婦問題 : 「私は絶対死なない、安倍首相が謝罪する日までは」 (2014.0

日時: 2014-03-14  表示:2906回

朝鮮日報 2014年03月14日11時07分

 元慰安婦が存在するのは韓国や中国などの東アジアだけではない。11日、オーストラリア南部のアデレードで会ったジャン・ラフ・オハーン(Jan Ruff O’Herne)さん(91)も日本の蛮行の犠牲になった。オランダ系オーストラリア人のオハーンさんは慰安婦だったと正式に名乗り出た唯一の白人元慰安婦生存者だ。

 オハーンさんは90歳を過ぎて気力がかなり衰えている。片目は失明状態だ。しかし同日、慰安婦像の設置を主導する「在オーストラリア韓人会」の人々に自ら恐怖の体験を打ち明けた時だけははっきりした口調だった。

 オランダ領東インド(現インドネシア)に暮らしていたオハーンさんの子どものころの夢は修道女になることだった。オハーンさんが修道女会で生活していた1942年、日本がインドネシアを侵略し、全てのオランダ人を収容所に収容した。「44年の初めだった。17歳以上の若い女性たちは引っ張り出され、整列させられた。すると、上から下までじろじろ見られた」。オランダ人女性約250人がトラックに乗せられ、連行されたのは日本軍の慰安所だった。

 慰安所に着くと、オハーンさんは日本軍将校に日本刀で脅されながら無残にも強姦(ごうかん)された。毎日昼も夜もおぞましい行為が繰り返された。性病検査をしに来た日本人医師に「私たちは強制的に連行されてきた。上部に知らせてほしい」と哀願したが、その医師にも強姦された。

 そう言うと、オハーンさんはしばらく言葉を詰まらせた。そして「慰安婦(comfort woman)という表現は日本の強制性を和らげる表現だ。私たちは日本軍の性奴隷(sexual slave)だった」と言った。

 日本軍は女性たちを収容所に送り、慰安所で経験したことを口外したら死ぬだろうと脅迫した。戦後はイギリス人兵士と結婚、60年にオーストラリアに移住した。恥ずかしさのあまり、当時の記憶を完全に封印していた。

 だが、50年余りがたった92年、オハーンさんはオーストラリアの放送局のニュースで韓国人元慰安婦たちの叫びを聞いた。「何も答えない日本大使館の前で堂々と謝罪を要求する韓国人元慰安婦たちを見て勇気をもらった。同じ歴史が繰り返されないよう立ち上がらなければならないと決心した」

 白人慰安婦が存在したという事実は、西欧社会に大きな衝撃を与えた。この証言を基に94年、映画『50年の沈黙』が制作された。オハーンさんは2007年、米下院の慰安婦公聴会で証言した。

 オハーンさんは謝罪どころか慰安婦の存在さえ否定する最近の日本政府の態度を見て、慰安婦像設置に協力することを決心した。オーストラリア在住の韓国系・中国系団体が先月、慰安婦像の設置を決めた。慰安婦像が設置された米国の小都市グレンデールとは違い、シドニーは人口500万人というオーストラリア第1の都市だ。シドニー・ストラスフィールド市のオク・サンドゥ副市長は「日本の度重なる歴史歪曲(わいきょく)に対抗し、オーストラリアの与党・自由党女性委員会も慰安婦像設置を支援する意向を明らかにした」と語った。シドニーの慰安婦像は韓国人、中国人、そして白人の少女が手を取り合う形で設置される予定だ。白人の少女のモデルはオハーンさん。ソン・ソクチュン在オーストラリア韓人会会長は「慰安婦が韓日問題ではなく、女性に対する反人倫的な戦争犯罪であることを世界に知らしめる像になるだろう。日本がどのような妨害をしてきても必ず設置する」と語った。

 オハーンさんは次々と天に召されていく韓国人元慰安婦たちに哀悼の意を表した。「日本は、その蛮行を証言する私たちがみんな死ぬのを待っているのだろう。反省しない日本政府は絶対に許せない。私は決して死なない。安倍首相から謝罪を受ける日までは」

慰安婦問題 : NHK:解説 内部から疑問の声…新会長の慰安婦発言 (2014.

日時: 2014-01-26  表示:2748回

毎日新聞 2014年01月26日 01時04分(最終更新 01月26日 09時55分)

 NHK会長としての一歩を踏み出す晴れ舞台となるはずだった就任会見で、籾井勝人(もみい・かつと)氏は窮地に立たされた。自らの不用意な発言が進退問題にも発展しかねない状況だ。

 従軍慰安婦問題について記者から質問され、籾井氏は「コメントは控えていいですか」と言いながら「戦時中はどこの国にもあった」と口を滑らせ、韓国の姿勢などについて持論をまくしたてた。

 籾井氏は昨年12月にNHK経営委員会から会長に選出されたばかり。経営委員側からは「外交問題に発展しかねない。選んだ側の責任も問われる。国際放送の役割についても事前に十分説明したのに、正しく理解していない」と失望の声がもれた。発言の真意をただし、今後の対応を検討するため、浜田健一郎委員長は週明けにも籾井氏と面会する予定だ。28日には経営委もあり、各委員から直接追及されるのは必至だ。さらに来年度予算の国会審議も間近に控え、議員の質問攻めにあって同じ過ちを繰り返すことも懸念される。

 NHK内部からは会長の資質を疑問視する声が出始めている。公共放送トップとしての自覚と説明責任が問われている。【土屋渓、有田浩子】

慰安婦問題 : NHK:籾井会長、従軍慰安婦「どこの国にもあった」 (2014.

日時: 2014-01-26  表示:2498回

毎日新聞 2014年01月25日 21時26分(最終更新 01月26日 00時59分)

 NHK新会長の籾井勝人(もみい・かつと)氏(70)は25日の就任記者会見で、従軍慰安婦問題について「戦争地域にはどこの国にもあった。ドイツにもフランスにもヨーロッパはどこでもあった」と述べた。過去にも経営委員長が国際放送の編集方針について「国益を主張すべきだ」と発言して問題になった。政治的中立を疑われかねない不用意な発言を繰り返し、トップとしての資質も問われそうだ。

 さらに個人的意見として「今のモラルでは悪い」としつつも「韓国が『日本だけが強制連行した』と言っているからややこしい。補償問題は全部解決した。なぜ蒸し返すのか、おかしい」と韓国の姿勢を批判した。特定秘密保護法の報道が少なく、姿勢が政府寄りとの指摘があることについて、「(法案は国会で)通ったこと。あまりカッカする必要はない」と、問題点の追及に消極的な姿勢を示した。

 また、籾井氏は3年間の任期中に取り組む最重要課題の一つに国際放送の充実を挙げ、領土問題について「尖閣諸島(沖縄県)や竹島(島根県)について日本(政府)の立場を主張するのは当然」として早急に強化する姿勢を示した。「政治との距離」については「(政府と)相談しながら放送していく必要はないが、民主主義に対するわれわれのイメージで放送していけば、全く逆になることはない」との認識を示した。【土屋渓、有田浩子】

慰安婦問題 : サラダボウル:少女像への国際的視線=堀山明子 (2013.08.05)

日時: 2013-08-07  表示:2747回

毎日新聞 2013年08月05日 13時30分

 米カリフォルニア州グレンデール市に旧日本軍従軍慰安婦を象徴する少女像が設置される前夜の7月29日、除幕式のため訪米した元慰安婦、金福童(キムボクドン)さん(87)がユダヤ系博物館で証言するというので聞きに行った。隣接するロサンゼルス市内にある第二次大戦中のユダヤ人虐殺を記録するホロコースト博物館で行われた。

 日本の戦争責任を問う元慰安婦の集会はソウルで何度も取材したが、米国では初めて。「事実を家族に打ち明けた?」「慰安婦と名乗り出た理由は」。質疑応答で司会者が、戦後の生活環境や社会に適応していく経過について細かく質問していたのが印象的だった。ホロコースト生存者や子孫の社会復帰に力を入れるユダヤ系らしい観点だと思った。

 「人ごとと思えなかったわ」。集会後にエレベーターで一緒になった中年女性が興奮した表情で話しかけてきた。「私、南米コロンビア系なの。少女の誘拐や売春の強要は、今もしょっちゅう起きている」。国際犯罪組織による人身売買事件と重ね合わせ、被害者救済のために何ができるか、考えさせられたという。

 本番の除幕式ではアルメニア系のシナニャン市議が、約100年前にオスマン帝国でアルメニア系住民約150万人が虐殺されたとされる事件に触れながら、慰安婦への連帯感を力説した。「私の先祖は虐殺の被害者。トルコから何の謝罪もなく、今も傷が癒えていない」

 碑が設置されたグレンデール市は人口約20万人のうち3割がアルメニア系。虐殺事件の戦後処理を促す下院決議を07年に可決させたアルメニア系のアダム・シェリフ連邦下院議員の選挙区でもある。日韓摩擦が飛び火した現場は、全米でも有数の人権問題に敏感な都市なのだ。

 7月の公聴会で反対意見を述べた日本人は「人権問題はどの国にもある」と主張。「米軍周辺にも売春宿はあった」と逆襲する人もいた。

 米国は軍隊内の性暴力撲滅運動の真っ最中。「日本だけが悪い」とはだれも言っていない。むしろユダヤ系、アルメニア系、性暴力に悩む女性が時空や経緯を超え、それぞれ身近な事件と絡め、元慰安婦の痛みに共鳴しているというのが今の構図だ。被害者の傷と向き合う普遍的な言葉でなければ、米社会では届かないだろう。(ロサンゼルス支局)

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