アジアプレス 5月31日(金)11時1分配信
日本維新の会共同代表の橋下徹・大阪市長の日本軍「慰安婦」をめぐる発言が波紋を呼んでいる。発言に修正を加えながらも、「慰安婦制度は必要だった」「強制連行はなかった」などの根本は変えていない。被害女性の支援者や戦争体験者も、批判の声を強めている。(新聞うずみ火 栗原佳子)
■ ひもで結ばれた女性たち
京都府長岡京市の小北英子さん(90)は、戦争を知らない世代の橋下氏の発言に怒り心頭だ。
「ひどすぎる。私が出て行って証言したいくらいです」
小北さんは1941年、再婚した母親が暮らす南洋パラオに渡った。太平洋戦争が起きた年だ。強烈なパラオでの体験の中でも、とりわけ忘れることができないのが「慰安婦」とされた女性たちのことだという。
「当時、慰問なのか、サーカスがパラオに回ってきていたんです。そこに陸軍がやってきて、サーカスはすぐ閉鎖になりました。そのテントをカーテンで仕切っていくんです。慰安所ができたんです」
小北さんは女性たちが10人前後、腰にひもで結ばれていたのを目撃した。
「憲兵か軍属のような男性が、刑務所で散歩させるような感じで引っ張っていくんです。自分から女性たちが来ますか? 強制ですよ」
父は小北さんに陸軍の「慰安所」ができた町には絶対行くなと厳命した。
「とっつかまえられて、連れていかれるかもしれない、というふうな話でした」
家は郊外で農園を経営していた。そこには時々、「慰安婦」の女性たちが4、5人連れ立ってパパイヤやバナナなどを買いに来たという。
「父から聞いた話ですが、女性たちは仕切られた部屋の中で寝たままなのだそうです。兵隊が行列しているのを班長みたいな人がタイムスイッチを持って。ひどいときには30人も40人も相手をさせられるのだと。身体が大変で、栄養分をとるために、果物を買いに来ていたということです」
小北さんは那覇市出身。オスプレイ配備反対の県民大会に参加するなど平和への願いは人一倍強い。
「いつも犠牲になるのは沖縄の人なんですよね」
■ 「私が『証拠』です」
米兵に生身の沖縄の女性たちをあてがえばいいといわんばかりの橋下氏の暴言。しかもその後、あたかも、沖縄の人権向上のための発言であるかのように軌道修正。現地の怒りの炎に油を注いでいる。
「一時逃れのウソでしょう。いくら弁解しても、最初に出てきた言葉が、その人の人格ですよ」と那覇市の宮里洋子さん(72)。宮里さんは、橋下市長の発言を聞き、すぐに大阪市役所に抗議の電話をした。3カ所くらい部署を回され、電話口の担当者に思いをぶつけたが、その男性も当惑気味だったという。
この5月19日、本土復帰41年にあわせた集会が宜野湾市の海浜公園屋外劇場で開かれた。壇上には、元日本軍「慰安婦」だった金福童(キム・ポットン)さん(87)が上がった。市民団体の招きで来日、17日から各地で体験を語る証言集会に参加している。
金さんは日本統治下の朝鮮半島に生まれ、14歳のとき、軍服工場に行くとだまされ中国やインドネシアなどの戦場に送られた。
「私が証拠です」。
宮里さんはこの日の大会に参加、「聞きながら切なくてたまらなかった」という。金さんの話を聞きながら、脳裏をよぎったのは、幼い頃に見た光景だった。当時住んでいた家の近くには女性たちがよく立っていた。ジープの米兵が乗りつけるのも見たという。
「小さかったので意味はわからなかったけれど、沖縄戦のあとの苦しい暮らしの中、家族を養うため、食べるために、米兵を相手にして生活を支えた女性たちがいたんです」
にもかかわらず、その女性たちは、必ずしも周囲から温かい目で見られていたとは限らないという。
「家族の生活を支えてきたのも女性、辛い思いをしてきたのも女性です、だから橋下発言にはすごく腹が立っています。女性の人権をなんだと思っているのか。性の道具なのか」
集会で、金さんが発言を終えた瞬間、宮里さんは壇上にかけあがり、金さんを抱きしめたという。
「アイラブユー」
金さんはちょっと驚きながらも笑顔を返した。そして、こう言ったという。
「アベは、ダメよ」
ハシモト=アベ。日本軍の被害者がどんなにか日本のいまを案じているかを端的に言い表していた。
(終わり)