2013年02月08日 毎日新聞
◇2人の父、今は「許そう」
「絶対殺してやる」
義父への手紙を残し、家を飛び出した上原陽子さん(30)。当時、まだ17歳。3歳から続いた義父の虐待から逃れたい一心だった。
家を出る直前、子宮がんで入院している母に会いに行った。
「もう一緒に住めない」と話す上原さんに、母は「あんたの好きなように生きて。今までごめんね。もっとかばってやればよかった」とむせび泣いた。
実父と義父による長年の虐待。それを止めてくれなかった母。それでも手作りで服を縫ってくれるなど、時々愛されているとも感じていた。
泣く母を見て、「やっと分かってくれた」と号泣した。憎しみが一瞬にして消えた。「母を許そう」。自然にそう思えた。
◇苦労の一人暮らし 18歳で結婚、妊娠
母との関係は修復されたが、家を出ての一人暮らしは楽ではなかった。当てもなく向かった先は大阪。手元には、かき集めた3万円しかない。昼はコンビニエンスストア、夜はスナック。無我夢中で働いた。睡眠時間は2、3時間。生きるのに必死だった。
あっという間に1年が過ぎた。ある日、スナックに常連客と一緒に来た男性。優しく温かい雰囲気にひかれた。6歳年上の彼は会社員。「愛情にあふれているような人だった」。たちまち恋に落ち、18歳で結婚、間もなく長女を妊娠した。
幸せな一方、不安もあった。虐待を受けて育った自分が、子供を愛することができるのか。
妊娠直後、夫と夫の両親に、虐待の過去を初めて打ち明けた。どんな反応をされるか怖かった。
静かに聞いていた夫は「今からがお前の人生。これから幸せになればいい」。両親も「あんたは嫁じゃなくて、私たちの娘だよ」。温かい言葉がうれしくて胸が詰まった。「家族っていいな」。大きくなっていくおなかの中で懸命に生きる、小さな命を心底、いとおしく思えるようになった。
それでも虐待の過去は、心の深いところで突き刺さっていた。
義父に殴られている夢を見て、自分の叫び声で夜中に目が覚める。いつも全身が震えていた。家出してからも悪夢に悩まされた。
傷はなかなか癒えなかったが、その後、2人の子供に恵まれ、家族は5人に。1日の始まりに「おはよう」と言う相手がいる。仕事に行く夫を「いってらっしゃい」と見送り、「おかえり」と迎える。3食ごはんを食べられる。ゆっくり風呂に入れる。暖かい布団で寝られる。そんな当たり前のことがうれしかった。
気が付くと3年前から虐待される夢を見なくなった。傷が少しずつふさがっていった。
◇体験語り“人助け” NPO法人を設立
虐待に耐えられず、自殺も考えた。義父に殺されたたかもしれないし、逆に殺したかもしれない。生まれてから17歳まで、実父と義父から受けた凄まじい虐待。その体験を約2年前から人前で語り始めた。
思い出すのはつらかった。途中で泣き出すこともあった。それでも「虐待されている人を助けたい」との思いでやり続けた。
「自殺しようと思っていたけど、話を聞いて生きようと思った」。そんな手紙ももらった。昨年12月、NPO法人「虐待問題研究所」(大阪市)を設立。楽しく子育てをしてほしいと、親への勉強会を開いたり、悩み相談を受けている。
大阪府内の公園で先月下旬、上原さん親子が楽しそうに遊んでいた。「お母さんこっち来て」と甘える5歳の女の子。9歳の兄と10歳の姉は遊具に登るのを手伝い、仲の良さを見せた。
母は、家出して約半年後に亡くなった。3歳で離婚した実父は行方知れず。義父とは母の葬儀以来、会っていない。
「たくさんの人が応援してくれ、居場所がある。だから今は、2人の父も許そうと思える」。そっと優しくほほ笑んだ。【岡奈津希】(この項つづく)