ハンギョレ新聞 1月27日(水)8時24分配信
「15歳の時、道端で2人組の男に連れ去られた」
日本の法的責任、安倍首相の直接謝罪を要求
「私は釜山で生まれました。貧しくて学校にも行けませんでした。 15歳の時、蔚山(ウルサン)のある家に女中奉公に出ました。そこでお使いの帰り道に、2人組の男に道を塞がれました。そして何も言われないまま、腕を一本ずつ掴まれて、連れていかれましたよ」
26日午前、東京千代田区の衆議院第一議員会館の多目的会議室。怒りを堪えて一言ずつ言葉を繋いでいく日本軍「慰安婦」被害者ハルモニ(お婆さん)のイ・オクソンさん(90)は、故郷の慶尚道ではなく、咸鏡道訛りで話した。中国の吉林省に連れて行かれたイさんは、日本軍飛行場を経て、日本軍慰安所に移された。戦争が終わってからも、イさんは故郷に帰ることができなかった。言葉も通じない広大な中国大陸に捨てられたからだ。再び故国を訪れたのは、解放から55年が過ぎた2000年だった。そうやって月日が流れる間、イさんは74歳のお婆さんになっていた。
「慰安婦」被害ハルモニたちの共同居住施設である京畿道広州(クァンジュ)にある「ナヌム(分かち合い)の家」で生活しているがイさんとカン・イルチュルさん(89)が「12・28慰安婦合意」以降、初めて日本を訪れて記者会見を開いた。会見場には50人近い韓日の取材陣が集まった。
2人のハルモニは合意を認めない意向を明らかにしてから、日本政府が公式謝罪し法的責任を認めると共に、安倍晋三首相が直接謝罪することを要求した。カン・イルチュルさんは「どうしてこんな合意で私たちを愚弄するのか。なぜ安倍(首相)は一度も出てこないのか」と述べた。イ・オクソンさんも「歩くのがやっとの私たちが、なぜここまで来て話をするかを考えてもらいたい。私たちがいくら日本政府に要請しても、どこ吹く風で、日本政府はハルモニたちが死ぬのを待っている」と述べた。続いてイさんの批判は韓国政府に向けられた。「なぜ被害者の目を瞑らせて、隠し、いくらかのお金なんか持って来て、ハルモニたちの口を封じようとするのか。絶対そうは行かない。悔しくて仕方がない」
ハルモニたちは、日本政府が求めている駐韓日本大使館前の少女像の撤去についても「少女像をなくすか、私たちを殺すかの問題」(カン・イルチュルさん)だとして、絶対受け入れられないと述べた。
東京/キル・ユンヒョン特派員 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )