2013年02月11日 産経新聞
強制わいせつ罪に問われたアルゼンチン人の男が帰国してしまい、大阪地裁で裁判が開けない状態が続いている。男の逮捕後、大阪地検がいったん処分保留で釈放したためだ。その後、検察審査会の起訴相当議決を受け、地検は再捜査を行って男を起訴したが、時すでに遅し。日本とアルゼンチンには犯罪人引き渡し条約がない上、男は日本での裁判を拒否しており、もはや出頭させる手段は事実上、ない。このような事態はなぜ起きたのか。被害女性は責任の所在を明らかにしようと1月、「検察官の判断ミスにより男の国外逃亡を許した」として、国などに165万円の損害賠償を求める訴訟を大阪地裁に起こした。
■手遅れの起訴
「無罪になるかもしれない」
大****容疑者を釈放した理由を、被害者にこう説明した。
平成22年1月、大阪府内のホテルで、フロント係として働いていた女性を「ランドリーのことで質問がある」などと部屋に呼び出し、無理やり体を触ったなどとして、大阪府警はアルゼンチン人のロベルト・ロサダ・ゴ****被告(64)を逮捕した。
しかし、地検は同年2月、***被告を釈放。すると翌日すぐに、アルゼンチンに帰国してしまった。********* 被告は「相手の同意があった」と容疑を否認していたとされる。地検は、釈放した理由の説明を求める女性側に****被告は相手の同意があると信じていた可能性があり、無罪になるかもしれない」などと話した。そして、釈放した被告を嫌疑不十分で不起訴処分とした。
しかしこの後、風向きが変わる。
大阪第4検察審査会は同3月、「恐怖で拒否できない状態を利用してわいせつ行為をした」などと、起訴相当を議決。これを受けて再捜査した地検は同10月、一転して被告を起訴した。
起訴に際し、地検は「被害者の証言を十分に評価せず配慮を欠いていた」と陳謝。女性側にも判断の誤りを認めて謝罪した。
■犯罪人引き渡し条約
問題は、ここからだ。
24年12月。大阪地裁で予定されていた強制わいせつ罪の初公判は、開かれなかった。すでにアルゼンチンに帰国している***被告が出廷しなかったためだ。
刑事訴訟法では、刑事裁判の1審公判は原則として被告が出廷しなければ開くことができないと定められている。
一般的に、起訴された被告が公判に出頭しない場合、被告が日本国内にいれば裁判所が発付する「勾引(こういん)状」によって検察事務官などが身柄を拘束し、強制的に裁判所へ連れて来ることができる。その後、裁判所が「勾留状」を出せば、被告の身柄は拘束され続ける。
ただ、***被告がすでに地球の裏側のアルゼンチンに帰国している。
外務省などによると、日本は米国、韓国との間で犯罪人引き渡し条約を結んでおり、両国に対しては原則として容疑者*被告の引き渡しを求め、日本で裁くことができる。
しかし、それ以外の国の場合、外交ルートを通じて身柄の引き渡しを要請することはできるが、応じるかどうかは相手国次第。日本を含めて「自国民を外国に引き渡さない」などと定めている国も多く、現実的には難しいことが多い。
外交の世界では「相互主義」が原則とされており、日本が応じられないことを相手国に求めることはできないという事情もある。
■事実上の「逃げ得」
女性側の代理人弁護士によると、起訴状はアルゼンチンにいる***被告に届いており、初公判の日程や出頭を求められていることも伝わっている。しかし、本人は「母国以外での裁判は受けない」との意向。アルゼンチンでは国民が自国で裁判を受ける権利が保障されているといい、***被告が日本の法廷に出頭する可能性はほぼゼロだ。
「代理処罰」という仕組みもある。相手国に対して、その国の法律に基づいて現地で裁くよう要請するものだ。
実際、年間数件程度は日本の要請に応じて相手国が犯罪者を起訴する事例があり、平成11年に浜松市で発生したブラジル人による死亡ひき逃げ事件などでは現地の***被告の有罪が確定している。
ただ、あくまで相手国の法律に従って刑事責任が問われるため、日本と同じような刑罰か科されるかどうかは分からない。
今回のケースでは、代理処罰を求めると、被害者の女性が現地に赴いて事情聴取を受けるなどの必要が生じる可能性がある上、アルゼンチンの法律で***被告が有罪になるかどうかは不明。女性本人も制度や文化が異なる国での手続きに不安を示している。実現の可能性は低い。
事実上の「逃げ得」状態となっている***被告。大阪地裁は初公判の期日を改めて指定するとしているが、状況が変わる見込みは薄いのが現実だ。
■検事のひと言にも“傷”
「犯罪を裏づける十分な証拠があったのに、検察官が釈放したため、日本での裁判を行えなくなった」
被害女性に残されたのは、この道しかなかったのかもしれない。女性は今年1月、国と事件の担当だった検察官に損害賠償を求めて提訴した。
女性は検察庁に対し、「釈放すれば被告が帰国してしまうことは容易に想像できたはず。犯人を裁けなくなったことを、一体どう考えているのか」と憤りをみせる。と同時に、事件捜査中に検察官から「****被告が)女性が同意していると思ったと弁解し、無罪になるかもしれない」などといわれたことで尊厳を傷つけられたとも訴えている。
女性の代理人弁護士によると、「きちんと犯人を処罰してくれると信じていたのに、地検が釈放したことにショックを受けた」と話しているという。
女性は、犯罪被害者保護法に基づく損害賠償命令の申し立ても行っている。刑事裁判の結果を前提として簡略な****被告側に賠償金の支払いを求めることができる制度だ。しかし、これは刑事裁判で有罪判決が言い渡された後でないと審理が進まない。当然、現時点ではストップしている。
外国人犯罪に詳しく、ブラジルの裁判所などを視察した経験もある熊田俊博弁護士(静岡県弁護士会)は「法律や制度が想定していないような難しい状況になっているといえるが、最初に身柄を拘束した段階で起訴しなかった検察官に落ち度があったのではないか」と話している。