毎日新聞(2004年1月30日)
◇遺族ら怒りの涙――地裁沼津支部判決
JR沼津駅前の駐輪場で00年4月、沼津市の女子高生、Oさん(当時17歳)が刺殺されたストーカー殺人事件で、地裁沼津支部(高橋祥子裁判長)は29日、殺人罪などに問われた*被告(31)=東京都中落合3=に無期懲役を言い渡した。同事件は、ストーカー行為の恐ろしさを社会に知らしめ、規制法が成立するきっかけにもなった。極刑を望んでいた遺族は「なぜこんな判決が……」と言葉を失った。【古関俊樹、大楽眞衣子】
◇「娘の人権どこに…」
この日、ベージュ色のジャケット姿の*被告は法廷に入ると傍聴席の遺族に一礼した。Oさんの両親は、被告をにらみつけるように判決文の朗読に聴き入った。
判決で高橋裁判長は「精神的に依存していた相手に交際を拒否され、逆上したのは逆恨み。残酷な犯行には酌量の余地はない」と指摘した。公判で争点になっていた殺意の有無については「力を加減せず突き刺し、傷の状況などから確定的殺意があったことが認められる」と明確に認めた。
一方で、劣悪な生育歴****被告に性格の偏りが生じ、事件の原因になったことを指摘。*被告のみを責めることはできない。人格障害はあるが治療の余地はある」と無期懲役を選択した。
主文の言い渡し後、遺族らは納得できない様子で理由を聞いていたが、Oさんの父親(54)は閉廷直前に急に立ち上がって「罪が軽すぎる」と叫び、母親(51)に静止された。裁判終了後、母親は「まったく考えていませんでした。裁判長は犯人の言葉を全面的にうのみにしている。娘の人権はどこにいったのですか。無期懲役になった理由にはすべて納得できません」と涙を浮かべた。
この日の公判には、Oさんのかつての友人らも姿を見せた。その**(20)は「人を殺して生きていられるのはおかしい。万記が判決を聞いたらがっかりすると思う」と怒りをあらわにした。
弁護側は「殺害した人数が1人で、妥当な判決。今後の***被告と相談する」と話した。
判決を受けて、地検沼津支部は「死刑求刑が容認されなかったことは極めて遺憾。今後の対応は上級庁と協議のうえ決めたい」とするコメントを出した。
地裁沼津支部では、三島市の女子短大生(当時19歳)が焼殺された事件で、殺人や逮捕監禁などの罪に問われた被告(31)に無期懲役の判決が出たばかり。早稲田大の寺崎嘉博教授(刑事訴訟法)は「4人を殺害した被告への判決で、83年に最高裁は死刑適用が認められる基準を示し、その中で殺害された被害者の人数が原則複数であることを挙げている。今回の判決は最高裁の基準に従ったものだ」と話している。
◇女子高生ストーカー殺人事件の経過
99年 7月 *被告がOさんと交際を始める
00年 3月 7日 別れ話を切り出された*被告がストーカー行為を開始
4月19日 H被告が女子高生を包丁で刺し殺害。殺人容疑で逮捕
6月22日 初****被告が殺意を否認。弁護側は傷害致死罪を主張
01年 8月 3日 弁護側が*被告の精神鑑定を地裁に申請
11月22日 地裁が精神鑑定の申請を却下。弁護人が解任を申し出る
12月25日 新たな国選弁護人が決定
02年 7月18日 弁護側が再度精神鑑定を申請
11月21日 地裁が精神鑑定の申請を認める
03年10月 2日 H被告の精神鑑定をした医師が公判で責任能力を認める証言
12月 9日 論告求刑公判で検察側が死刑求刑。弁護側は情状酌量を主張し、結審
04年 1月29日 地裁沼津支部が無期懲役の判決